牧師の独り言 NO32 「教会は社会ではない?」

2017年2月5日 | 牧師のひとりごと |

社会、特に企業などでは社員は会社の利益のための部品や歯車となる。日本では、バブル時代まで終身雇用の代わりに会社への忠誠が求められ、まさに部品や歯車の一部としての役割を社員に求めてきた傾向がある。無論、全ての企業にこの論理が当てはまらないのは承知の上だが、あの時代に私の近くにいる多くの大人はそうだった。

 

会社のために働くためには、個人が掲げる夢や意思、目標はあまり必要ない。会社とぴったり合えば別だが、命ある個人と利益集合体である会社が一致することは、稀でしかないだろう。利益を得ること、会社として信用を得ること、進化することのための潤滑油として動くことが個人の意思や夢よりも優先された。

 

だが教会は違う。企業倫理やそのほかの団体のルールを教会に持ち込む方々もいるが、そうなると教会がギスギスする。なぜそうなるのか。それは、1つ1つの行いが、仕事でもなく、役割でもなく、奉仕であるからだ。誰のための奉仕かと問われると、それは教会のリーダー・イエスと全てを導く神のためであろう。

 

仕事になると歯車になることを求められる。役割になると目的のために我慢することが多くなる。だが、教会は違う。1人1人が夢や意思や目標をもちつつ、イエスのため、神のために自分が与えられた能力を使って喜んで行う奉仕を行う。それは感謝への行動であり、自らの意思で行う大切な業でもある。

 

そして、さらに教会が他と決定的に違うのは、失敗しても間違っても赦される場所であるということ。それが明日を生きる原動力ともなる。逆にそれがないと教会とは言えないかもしれない。互いに赦し、励まし、支え合い、強制されない奉仕を各々行う。その1つ1つの業が素敵な教会を創りあげていくはず。(K・H)

投稿者hara | 牧師のひとりごと | 2017年2月5日5:09 PM

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